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「いき」の主題による変奏曲 1998年10月10日 永井 潤様 年賀状ありがとうございました。今年の正月休みはほとんど家で音楽を聴いて過ごしました。例年ですと、晩秋にはブラームス、雪が積もる頃にはシベリウスとメニュウーが偏るのですが、このところモーツアルトのオペラのLDを含めて聴くことが多いようです。 「いき」の構造 さて、オーデイオアミーゴ4部作を読み終えた後、MJ誌(1997.3)の永井さんのエッセイ「美学としてのオーデイオ」を読んでみました。雑誌を買ったときにはよく意図が読みとれなかったのですが、今度はよくわかりました。 その中で紹介されていた九鬼周造の『いきの構造』は、以前読んだ覚えがあります。自分も実生活で活用できないものかと考えてみたものの、野暮の育った我が身には縁なきものと諦めていたのですが、「音壇回想録」の中で、ラックス時代の若き日の永井さんの行動に「いき」を感じました。 たとえば雑誌編集者に広告の掲載を強要されて「広告が出なければ商品が売れないというが、実際そうか試そうじゃないか」と賭けを実行し、実際には何の影響もなかったとか、フルトヴェングラーの映画「ドン・ジョバンニ」の上映権を手に入れて、赤字覚悟でフェステイバル・ホールで上映したとか、興味深い話が多いですね。「いき」とはそうした行動であると私は感じました。 それと同時に、愛読書の中井正一の「美学入門」(岩波文庫『中井正一評論集』所載)の一節を思い出し、ページをめくってみました。そこには「いきの構造」が次のように説明されています。 江戸の粋 「もはや江戸時代においては、町人が時代全体をにないつつあったのである。彼らはすでに、肉体の存在の無限に豊かな世界の発見、その自由を獲得しようとする反抗、つまりここに、町人としての新しい人間像が生まれはじまるのである。またしても、ひとつの大いなる脱走、脱落なのである。この世界こそ町人の粋の世界である。これは武家に対する「意気地」から出発したのであるが、これはやがて江戸の「いきこのみ」というか「粋」になっていくのである。 「粋」とは、米へんの、精とか粋とかいう言葉があるように、米がその「もみ」をとり、「かわ」をとり、青光りするほどその「ぬか」をとって、真っ裸のもの,裸々堂々とすべての飾りを脱ぎ去ることなのである。武家の着こんだ裃,長裃をみごとに「野暮」と捨て去って、播随院長兵衛のように槍のふすまの中に、裸一貫でとび込んでいくあの意気、あれが新しい町人の人間像、ひとつの美の類型となっていくのである。 それは赤裸々であるがゆえに、新しく生まれる巨大な、不敵な太さがそこに現れようとしている。団十郎が、初代から何代もかかって描きに描き、次第に大きくしていったあの「太さ」の芸術なのである。あの江戸前の声色の大きさ美しさは、能面の節回しにはみられない。町人が武士の前に、あくまで抵抗しぶつかっていった新しい人間像なのである。ここにも過去の重いものを抜け去り、捨て去る「イキ」として、立派に弁証法的な、ダイナミックな「契機の美」の構造が「意気の美」として現されているのである。」(273頁)
「武家の着こんだ裃」とは、社名ブランドの威を借りたビジネススーツのようなものなのでしょう。「オーデイオ・アミーゴ」に「いき」を感じるとすれば、それは裸々堂々と、すべての飾りを脱ぎ去る」ことへの期待になるかもしれません。 さて、そうは言ってみたもの「あなたはどうなのですか」と問われると、「いったい何を脱ぎ去ったらよいのやら?」ここは急がば回れで、学生の頃オーデイオに興味をもった動機から探ってみるのが一番かと思います。 その頃は日本経済の高度成長時代で、少しいい家庭では応接間を作り、家具調のセパレートステレオがあって、百科事典が飾ってある、といった風景。一方、そんなものは何ひとつない音楽好きの私はアルバイトで稼いで何とかステレオを手に入れたいと考えていました。音壇回想録」(2)に出てくるテクニクス・ブランド誕生の頃です。ちなみに私は1953年(昭和28年)生まれで、今年45歳です。 廉価盤とローエンド・オーデイオ 安くて良い音を、と考えてコンポーネントで揃えることにして、スピーカーはパイオニアPE−16(16cmフルレンジ)、箱は自作し、アンプはトリオKA2002、プレーヤーはパイオニアのPL−12といった、ローエンド・オーデイオでスタートしました。投資額は4万円くらいだったでしょうか。これでもお仕着せのセパレートステレオよりは粋だと、今から思えばそう考えていたのでしょう。 LPはというと、これも廉価盤ばかり。それでも小林秀雄の「モオツアルト」を読みながらト短調に惹かれ、コリン・デイビス指揮ロンドン響の39・40番(フィリップス\1200)や、アマデウス・カルテットのK516(ウエストミンスター\1000)を聴きました。ベイヌム指揮コンセルトヘボウのブラームスの4番(フィリップス\900)は、今でもCDで聴いています。 ベートーヴェンはというと、もちろん、ロマン・ロランの「ベートヴェンの生涯」。冒頭の「空気は我らの周囲に重い。旧い西欧は、毒された重苦しい雰囲気の中で麻痺する。偉大さのない物質主義が人々の考えにのしかかり、諸政府と諸個人との行為を束縛する。世界が、その分別臭くてさもしい利己主義に浸って窒息して死にかかっている。世界の息がつまる。もう一度窓を開けよう。広い大気を流れこませよう。英雄たちの息吹を吸おうではないか」――――読むと懐かしさとともに心が癒され、生きる力が甦ってくるような気がします。 LPを聴き始めたころは、バックハウスのピアノソナタ全集と、バリリ・クアルテットの弦楽四重奏全集をそろえました。いずれもモノラルでこれも1000円盤でした。若さの渋好みといいますが、暗かったなと思います。私などは音楽に人生いかに生くべきかを聴いた世代の末裔、それもだいぶ遅れてきた青年であったようです。 音楽からオーデイオへ 学校は5年制の工業高専でしたので、大学受験もないせいか、勉強もしないで心ゆくまで音楽や文学・哲学に親しめたいい時代でした。それにしても野放図であったと思いますが、こうした性格はその後、世間に出てから、何度か手痛い目に会うのですが、そんな時も音楽は心の支えとなりました。苦しい時どれだけベートーヴェンに励まされたか、とくに後期のピアノ・ソナタを聴くと、ベートヴェンの声が聞こえてくるような気がします。 友人たちはどうだったのでしょう。同級生にオーデイオ好きがいて、「無線と実験」か「ラジオ技術」でも読んでいたのでしょう。すでに真空管アンプを組み立てていました。彼の家で聴かせてもらった記憶ではシングル・アンプだったと思います。スピーカーがサンスイのSP−200で、プレーヤーがパイオニアPL−41。私のものより、3ランクくらい上の組み合わせでした。「音楽ではなくて音を聴くんだ」と、粋がっていましたが、聴いた曲は、ビートルズのアビーロード、サンタナ、シカゴなど、森山良子もよく聴いたな。フォークではその後、井上揚水の「傘がない」に衝撃を受けてことを覚えています。 親分肌で面倒見がよく、粋ないい男でした。その友人は仕事の過労で体を壊し30歳でなくなりました。太くて短い生涯でした。それに比べて「どうして俺はこうも野暮なんだろう」と、しばしば考えたものです。 乱読が過ぎ、形而上の問題で金縛りになり、トーマス・マンのトニオ・クレーゲルのような、なかなか他人にはわかりそうにない悩みをかかえ、それは世間に出てからも継続していましたが、そろそろ、決算報告者を書くときがきたようです。「飾りを脱ぎ去る」とは、まず自分の体験や考えを記述することから始まるのでしょう。それには「いき」がよき道連れになりそうです。 オーデイオ30年の回顧 あいつがもし生きていたなら、今のアルテック・バレンシアの音を聴かせたい。オーデイオを始めて30年近くたって、ようやく満足のいく音になった。音は確かに成長して、豊かな音色で音楽を奏でている。よくここまでたどり着けたものだと思う。同窓会で「お前まだオーデイオをやっているのか」と言われたとき、淋しいなと思った。「あの頃は、みんなオーデイオに熱中していたじゃないか」 そうだ、あの頃はオーデイオの中に自由があった。まだ、社会の階層がいまほど崩れていなくて、若者が日常の生活に息苦しさを感じたとき、自由を求めてオーデイオに走ったのではなかったか。街に出ればジャズ喫茶があった。薄暗い店内のカウンターで聴いたジムランの「ランサー77」、抜けの良い管楽器の音にオーデイオの魅力を知った。どんな曲をリクエストするかで見栄を張っていた。 あるとき、買ったばかりのLPを持っていった。ガラードのターンテーブルにそのLPを乗せ、SMEのアームとオルトフォンSPUのカートリッジでかけてもらった。みると・ジャクソンの「オパス・デ・ジャズ」だ。曲が終わったとき、マスターは満足そうに「いやあ、ひさしぶりに、ジャズらしいジャズを聴かせてもらいました」と言った。私の全身にスノビズムの快感が走った。その頃は社会人になっていて、自宅の装置はタンノイのイートンに変っていた。あの五味康祐が「西方の音」で盛んに愛でていたオートグラフでないにせよ、とにかくタンノイだ。アンプはラックスのCL−32.メインアンプはラックスキットのA−3500をEL34PPの三結で組んだ。ターンテーブルはダイレクトドライブのビクターTT−71。トーンアームはFR−64S。カートリッジはオルトフォンのMC−20で決めた。 合唱団をやっていた友人は、タンノイのチェビオットを買った。その友人宅で彼のデンオンのDL−103と、私のMC−20の鳴き比べをやった。「勝った」と内心思った。MC−20の方がはるかにワイドレンジで陰影が深い。やはりヨーロッパの音だ。DL−103には、日本的な淡白さを感じたがこれも良い音だと思った。この装置で10年くらい聴いていた。これ以上のグレードアップはすまいと、心にブレーキをかけながら。 周囲の熱気と裏腹に オーデイオ・アミーゴの創刊号に、河口無線の広告が載っている――「若き日、いつかは手にするんだと夢見た憧れのブランドが、ふと見ると、意外に身近になっていることにお気づきでしょう。それはきっと、一流ブランドが身近になったのでなく、あなたが、対等に付き合えるまで大きくなった証拠です。」――うまいことをいうなと思った。私もあの頃、そう考えていた。「もっと大きくなってから」と。でも、音に不満は残っていた。MC−20のワイドレンジが気になりはじめたのだ。逆にいえば音の薄さが気になった。それで結局カートリッジはSPUに落ち着いた。でも、まだ気になることがあった。反応が鈍いのだ。何かワンテンポ遅れる。クラシックの弦楽合奏は良いのだが。しかし、「それがタンノイなんですよ」と、オーデイオ店の店主に言われて、一応納得していた。これ以上のグレードアップはすまいと、自分に言い聞かせつつ。 そうこうしているうちに、あの4343ブームが始まった。オーデイオ店で聴いてみた。「なんだ。4本のスピーカーからそれぞれ音が出ているじゃないか。それに弦楽器の鋭い音は何だ」と、周囲の熱気とは裏腹に心は醒めていた。それとその熱気の中に音楽とは別のものを感じて違和感は大きくなるばかりだった。それから今度はマークレビンソン。瀬川冬樹氏もこの田舎町に講演にやってきた。でも、何を話されたか、まったく覚えていない。「これ以上のグレードアップはすまい」どころではない。オーデイオ熱が冷めてしまったのだ。 オーデイオ再出発 それから歳月は流れた。結婚して子供ができて、すっかり普通の暮らしに染まってしまった。あのオーデイオ店も事業の拡張が過ぎて倒産したと風の便りに聞いた。そんな停滞に終止符を打つかのように、ある日、ダイレクトドライブのターンテーブルが高速回転を始めた。クオーツロックが外れたのか、故障だ。修理に出して使っていたら、また高速回転が始まった。「こうなれば買い替えるしかない」と、ベルトドライブのマイクロBL−91を中古で買った。やはり、ベルトドライブは音が良かった。ベルトは2回交換したが、そのまま現在も使っている。その次は、いよいよCDプレーヤーの登場である。最初はデンオンの中級品を使っていたが、やはり音はアナログのほうがいいように思った。LDも聴きたかったので、フィリップスのCDV780でモーツアルトのオペラに目覚めることになる。そこには小林秀雄の「モオツアルト」とは別な世界があった。「百聞は一見にしかず」とはこのことだ。初めて本当のモーツアルトに出会ったような気がした。見かけによらず骨太な人だなと思った。 「わが国では、モオツアルトの歌劇の上演に接する機会がないが、僕は格別不服に思わない。上演されても目をつぶって聞くだろうから。僕はそれで間違いないと思っている」 (小林秀雄「モオツアルト」) ピュア・オーデイオ派が聞いたなら喜ぶかもしれない。だが、オペラはまず、目を大きく見開いて、それから聴くものだ。特にモーツアルトの粋は、オペラの登場人物の躍動にあり、そこにこそモーツアルトの面目躍如たるものがある。そんなことをLDは教えてくれた。「モオツアルト」が書かれてから、50年もの歳月が流れている。その間のオーデイオと映像技術の進歩の成果を享受しよう。そして、音楽評論やオーデイオ評論はいったん忘れて、虚心に音楽と向き合おうではないか。 つい演説調になってしまったが、結局、CDやLDのおかげで、またもや、オーデイオの深みにはまることになった。平成元年になって、勤務先の会社の事情で、関東に転勤することになる。その頃、プリアンプ(CL−32)の音がときどき出なくなることがあった。秋葉原を歩いていて、ダイナミック・オーデイオの中古専門店に入った。 再びオーデイオ店へ、雑誌との出会い 「ひとりで聴くんですか、それとも家族で使いますか」と問われ、「家族です」と答えたら、パイオニアC−90aが出てきた。ビデオ・セレクターもついているし、LDを聴くにも都合がいいと思ってこれに決めた。またタンノイのバークレイが置いてあったので、イートンとCL−32を下取りに出して、これも買うことにした。 あの時、なぜ家族と言ってしまったか、本当はいつも聴くときは独りだ。あまりマニアに見られたくない、と思ったのかもしれない。「ひとりです」といえば、カウンターポイントのSA3・1だったから、この選択は正解だった。のちに、カウンターポイントSA3・1を借りて、自宅で聴く機会があったが、ノイズの大きさに驚いた。 さて、残ったのは、ラックスキットA3500だ。使用年数相当に部品も劣化してきた。まず、電源部の電解コンデンサをエルナに替えた。カップリングコンデンサをEROに替えて、バイアス調整用のボリュームも新品に交換し、しばらく聴いていた。その頃出会った本が、黒川達夫氏の「デジタル時代の真空管アンプ」(誠文堂新光社)だった。 「市販の真空管アンプが好みに合わなければ、作ることです。゛何事も右にならえ゛が流行ですが、自分のこだわりを具体的に姿に現した、真空管アンプを設計製作することは精神的満足と自己のアイデンテイテイを確認できる、他に例のない趣味だと思います。皆様に、真空管アンプの自作をお勧めする所以です。」―――これに賛同し、そこに何か粋を感じたのかもしれない。実際に、自作を始めたのは、本社勤務に戻ってからになる。 雑誌「LISTEN VIEW」が創刊されたのもこの頃だった。「音楽ファンのためのオーデイオ雑誌」と銘打ってあったが、ソフトとハードが、ほどよくブレンドされていて好感をもった。創刊号では、ヴァイオリニストの堀米ゆず子さんのインタビュー記事が印象に残った。それで彼女のCD「J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」(CBSソニー)を買った。バッハに全力で打ち込んだ、いい演奏だった。また、編集者の船木文宏氏は、アイオロス・レーベルを設立し、自らライナー・ノートを書いていた。その中での愛聴盤は、「愛と幻想のシューベルト」(DACD-1)、「モーツアルト/ピアノ協奏曲12番13番」(ACCD-S103)、「ヴァイオリンとギターのための二重協奏曲集」(ACCD-S105)など。 また、同じくマイナーレーベルではハイブライトがある。ジャパン・ストリングス・トリオの「ドボルザーク・コダーイ・ブリッジ」(HTCL-1002)、伊東栄麻の「W・A・モーツアルト/ロンドンのスケッチブック」(HTCL-1001)など。これらは通俗名曲と異なっていて、これまた、粋な世界だと思う。「LISTEN VIEW」はその後、「SOUND STAGE」と名前を変え、また出版社も変わったりして創刊当時の面影はなくなった。粋な世界も商業ベースに乗せるのは難しいようだ。 ともあれ、これらのCDでデジタル録音の良さを知るようになった。CDプレーヤーはその後ルボックスB−156に替えたが、音色は良いが解像力がない。やはり、スチューダーのA727まで、グレードを上げないと駄目かなと思っていた。 現在は、ソニーX777ESとスタックスTARENTをオーデイオ・アルケミーDSTにつないで満足している。今、振り返ってみると、CDプレーヤー以外の改良で、CDの音が良くなってきた部分も、大きいように思う。 アンプの自作に「いき」を求めて さて、アンプの自作だが、黒川氏設計のEL34PPを作ってみたが、これは初心者には難しすぎたようだ。コンデンサなどの部品が多く、配線が混みいっていた。音は出たが、エリー・アメリンクの唇が「への字」に曲がって聞こえた。そこで今度はシングルにして、やはり同氏設計の7591Sを作ってみた。これはうまくいった。製作記には「音質は3極管シングルを思わせるもので、才気走ってデイテールを浮かび上がらせる方向でなく、分析的にならず、楽器各々の音色をマスでとらえ、全体としての和をいまく表現するという感じです。ルノアールの少女とか、モネの睡蓮というイメージ」と書かれていたが、そのとおりの音と思った。ただ、自分の好みは印象派ではなく、レンブラントの肖像画のような、リアリズムであることも分かってきた。そこでプシュプルにすることにした。森川忠勇氏の7591PPをEL34PPのシャーシを利用して組み立てた。これもうまくいった。製作記には「音質的にも歪みの少ない格調の高さからいっても、EL−156に共通した良さを持っているということができます。さすがに、真空管時代の最後を飾って開発された名球というのにふさわしいでしょう」と結ばれていた。 やっと常用できるアンプができた。これに味をしめて、もう一台作ってみようと思い、EL34Sの試作機に、7581A(6L6GC高信頼管)を挿してみたところ、明るくて端正なEL34に比較して、7581Aはやや暗く渋い音色で好みに合っていた。7581Aはセージ音響から買ったが、特別に頼んで、PK分割型の回路図を、球といっしょに送ってもらった。シャーシはA3500を利用した。 7581APPはうまくできたので、しばらく、7591APPと交互に、バークレーにつないで楽しんでいた。バークレーはそれなりに豊かになっていたが、同軸型の欠点なのか、中高域の歪みがきになりはじまた。ヨーヨー・マの無伴奏チェロ・ソナタの演奏で、特にそれを感じた。 バレンシアとの出会い そんな折に、オーデイオ店でアルテックのバレンシアに出会った。前の持ち主が荒っぽく使っていたらしく、サランネットもない。内部のグラスウールもむき出しで、ネットワークも傷んでいるようで、音も荒れていた。それでもアルテック特有の、軽い低音の良さはわかった。買ってから音を良くすればいいんだと、バークレーを下取りに出して買ってしまった。部屋に入れて鳴らしているうちに、ますますネットワークの悪さが気になってきた。スピーカーの箱を分解してみると、ネットワークの部品も汚れていた。ネットワークも自作しようかと考えたが、いい部品を使えば結構費用もかかる。それならマルチをやってみよう、という気になった。チャンネルデバイダーはフォステックスのEN3000にした。7581Aをウーファーの416Aに、7591Aをドライバーの806Aにつないだ。いい音になった。タンノイの曇空がアルテックで青空に変ったようだ。カートリッジも、SPUからデンオンのDL−103に替えた。 クレンペラー指揮フィルハーモニア管のエロイカをかけた。タンノイでは悲壮感が強調されたが、アルテックになったら、包容力と楽天性が出てきた。少し人生が明るくなってきたようだ。面白いものだと思う。50年代のハードバップをかければ天下一品、それでOJCレーベルの輸入盤を買うことになる。ひさしぶりに、学生時代よく通ったレコード店に足を運んだ。ビル・エバンスの「ポートレート・イン・ジャズ」のジャケットを差し出したら、白髪の増えた店主は言った。「あれ、谷さん、これまだ買ってなかったの?」―――恥ずかしそうに私は「ええ、つい買いそびれて」と答えた。ああ、ひさしぶりだなあ、スノビズムの快感。 仕上げは3ウエイ・マルチで しかし、それにしてもこの音はナローレンジだ。50年代ばかり聴くわけではないし。不満がつのってきた。そこでスーパー・ツイーターを追加した。フォステックスのFH90Hに、1μFのフィルム・コンデンサを直列につないだ。これでシステムは一応の完成をみた。このまま6年くらい、鳴らしていただろうか。すっかり、アルテックが気に入ってしまった。飾り気のない実直な音で安心して聴けた。ところが、昨年の春ころから、何か音が悪くなってきたようで気になりはじめた。どうしたのだろう。原因は良くわからなかったが、この際、グレードアップを図ろうと、2ウエイ・マルチから3ウエイ・マルチににして、クロスオーバー周波数を8kHzに設定した。高域用にアンプはエレキットの6BM8Sにした。変えてみたら確かに高域がすっきりしてきた。でも、まだ以前の音にもどらない。そんなある日、鳴らしていたら、急に音がおかしくなった。アンプを見たら7581Aの一本の色が白く変わっている。あわてて、電源を切り、内部を分解してみた。わかった。自己バイアスなので、カソード抵抗を使っているが、そこのバイパス用の電解コンデンサが、抵抗の温度にあおられて、パンクしたのだ。A3500のシャーシに放熱を考えずに抵抗を挿入したのが原因だった。さてどうしよう。一度、カソード抵抗(ホーロー抵抗)を、シャーシ上部に露出させてみた。どうも恰好が悪い。よし、それではカソード抵抗の廃止、つまり、固定バイアスにすればよいのだ。これは正解だった。パワーがでてきて、低域も明瞭になってきた。 最後は、リボン・ツイーター、パイオニアPT−R7Vの登場である。クロスオーバー周波数を5kHzに設定してつないでみたが、これでシステムのグレードが一挙に上がった。まず、低域の伸びが良くなり、雄大なスケールがでてきた。高域は、コンサート会場の反響のような、全体の広がりと奥行きがでてきた。弦楽器が繊細になり、刺戟音がなくなった。いいことだらけで、文句なしだ。 LDでモーツアルトのオペラを 最後に(これが本当の最後です)、室内のオーデイオ用のコンセントとテーブルタップ類をすべてホスピタル・グレード(病院用UL及びJIS規格)に替えた。これも効果があった。松下電工の3Pコンセントで2口1個で¥1300.これは安い。「オーデイオ・マニアなんてものは病人のようなものだから、ホスピタル(病院用)グレードが必要なんだよ」などという冗談を口にしていたが、はたして、病は癒されたか。オーデイオ熱もひとつの病であるが、人生の悩みを音楽やオーデイオに集中することで癒されたという経験をもつ人も多いのではないか。五味康祐の『ベートーヴェンと蓄音器』(ランテイエ叢書)は、そういう内容だから愛読者も多いのだろう。私はエリー・アメリンクの歌うシューベルトの歌曲集の中で、そんな歌を見つけ、いまでもときどき聴いている。
音楽に寄せて やさしい芸術よ、なんと数多くの灰色の時 人生の荒々しさが私を囲み捕らえたときに あなたは私の心に火をつけて暖かい愛情を感じさせ、 よりよい別世界に運んでくれたことでしょう。 あなたの竪琴から流れ出る溜息が、 あなたの甘く清らかな和音が、 しばしば私によりよい時の天国を開いてくれました。 やさしい芸術よ、私はそれをあなたに感謝します。
今まで書き連ねてきたオーデイオ遍歴もすべてはこの音楽のためです。昨夜のBS放送が、ベルリン・ドイツ歌劇場の来日公演で、モーツアルトの「魔笛」をやっていました。モーツアルトの音楽には確かに「いき」があり、特に三大オペラには驚嘆させられます。フィガロの思想がモーツアルトにあったのでなく、モーツアルトがダ・ポンテやシカネーダの脚本に触発されて、自在に音楽を付けたことに驚嘆するのです。オペラにおいて芸術は、集団的、社会的な性格を帯びてきます。まさに、孤独な天才(疾走する悲しみ)といった19世紀趣味が最も苦手とする領域です。「いき」が対人関係と行動に現れるとすれば、オペラに注目してみてはどうでしょうか。 |